新潟の部品加工
株式会社フカサワのホームページをご覧いただきましてありがとうございます。当社はねじ、部品・パーツ、機械加工、設備などを取り扱う総合商社です。本社は東京都文京区にございますが、新潟県長岡市に支店を構え、新潟のものづくりをサポートしてまいりました。
新潟県内の方はもちろん、全国の皆さまに素晴らしい新潟のものづくりを知っていただきたい、そしてお世話になっている地元に貢献したいという想いで、今回のような特集記事を制作する運びとなりました。新潟県における産業、とりわけ部品加工の特長や歴史に理解を深めていただける内容になっております。ぜひ、最後までお読みいただければ幸いです。
新潟県の金属工業を支える3つの街
新潟県は言わずと知れた米どころとして全国的にも有名ですが、部品加工をはじめとした金属産業が盛んな工業地帯という一面もあります。とりわけ当社の支店所在地である長岡市、そして燕市、三条市は産業都市として発展してきました。それぞれの市の特徴について見ていきましょう。
【長岡市】昭和10年まで遡る「工業立市」
新潟県の中心部に位置する長岡市。新潟県では新潟市に次いで人口が多い街で、長岡まつり花火大会は全国的にも有名です。そんな長岡市の産業の歴史は昭和10年に遡ります。明治時代より東山油田から採掘された原油の輸送、掘削機械の製造が行われてきましたが、大正時代には産油量が大幅に減少し、機械製造が下火となりました。
そこで、昭和10年に「工業立市」が宣言され、蔵王や城岡地区に工業団地を造成。精密測定器や機械の製造、鋳造工場が進出しました。これが後の北部工業地帯を形成します。
第二次世界大戦後は軍需から民需に移り、昭和30年代には産業機械の製造が盛んとなり、「工業機械のながおか」とまで呼ばれるようになりました。現在は北部工業地帯を中心に部品加工から大型機械まで、日本でも有数の産業集約都市に発展を遂げたのです。
【燕市】世界に誇る洋食器の街
燕市も新潟県の中心部に位置し、信濃川を挟んで長岡市と隣接しています。この燕市をはじめとして先ほどの長岡市、後述する三条市を総称し、新潟県の工業エリアの代名詞として「燕三条」と呼ぶことがあります。
燕市は特に洋食器の製造が盛んです。明治時代、銀座に店を構える十一屋商店がスプーンやフォークなどの洋食器の輸入をはじめました。しかし、海外からの輸入に頼っているだけでは国力が低下すると考え、国産化を目指したのです。
一方、燕市では江戸時代には和釘、明治時代には洋釘や銅器、やすりなど金属製品の生産が盛んに行われてきました。そこに着目したのが十一屋商店です。昭和44年に捧吉右衛門商店(現:燕物産株式会社)に洋食器の製造を発注したのです。
「和」から「洋」への転換が進むにつれ、洋食器の需要は右肩上がり。燕市で作られた洋食器は確固たるブランドを築き上げました。
【三条市】新潟の金属加工を有名にした技術の街
三条市も新潟県の中心部に位置する街で、長岡市の北東、燕市の南東に位置します。金属加工が盛んな街で、遺跡から鉄が出土されることから、縄文時代にはすでに金属製品を造り、利用していたことが伺えます。
江戸時代には燕市と同様和釘の生産が盛んになり、職人も増えてきました。江戸時代の中期になると仙台からの渡り職人が、木槌で叩くことで成形する「鎚起銅器」の技術を燕市の職人に伝え、さらに製品のバリエーションが増えました。
明治時代になり和釘の需要は少なくなりましたが、これまでの技術を応用して大工道具や刃物、さらにはヤスリや洋食器などさまざまな製品を開発・製造してきました。その高い技術力から、「燕三条で作れない金物はない」とまで言われるほど、金物のメッカとして発展してきたのです。
ちなみに三条市は日本で最も社長の人口比率が高い街です。その理由としてやはりものづくりの技術が脈々と受け継がれてきた技術力が高い工場が多いことが挙げられます。
4つの条件?金属工業が発展した裏側に迫る!
新潟県が全国でも有数の産業エリアであることがおわかりいただけたかと思います。特に燕三条で造られた製品は日本国内ではもとより、世界中から高い評価を得ています。それではなぜ新潟県において金属工業をはじめとした産業がこれほどまでに発展したのでしょうか?その歴史や背景を紐解いていきましょう。新潟県の歴史や地理的条件が密接に関わる、深い物語があります。
農民の副業?!ここから始まる新潟の金属工業の物語
新潟県といえばお米。信濃川が流れ、昔から稲作をはじめ農業が盛んな地域でした。しかし豊かな清流は水資源を供給する水源であるのと同時に驚異でもあったのです。燕三条一帯ではたびたび信濃川の氾濫に悩まされてきました。ひとたび災害が起こると農作物にも大きな影響を与えます。そこで、農民たちは和釘づくりを副業としてはじめたのです。
新潟県は山に囲まれ、豊富な鉱物資源と炭の原料となる木が入手しやすい環境にあったため、金物を造るのには適した地域と言えます。加えて江戸の大火で和釘の需要が高まっていたため、どんどん和釘づくりが盛んに。副業から専業へ。金物職人に転身した農民も少なくありません。当時の人々に先見の明があったからこそ、今日の新潟県の礎がつくられたのです。
成るべくして成った!4つの条件とは
もともと副業として行われてきた和釘づくり。新潟県の地形や風土がそれにぴったりマッチしたからこそ、一大産業に成長したと言えます。
前述のとおり、新潟県には銅山があり、鉱物資源が豊富に採れたこと、そして炭の原料となる木材の調達が容易であったことが挙げられます。また、当時は物品を船で運んでいました。信濃川をはじめ河川が燕三条を縦断するように流れていて流通網が充実していたことも成功の理由と言えます。
さらに、江戸中期には仙台や会津などから職人や技術者が燕三条に多く訪れました。新しい技術が伝わり、それを応用し、和釘だけにとどまらずさまざまな製品を世に出してきたことも大きな要因です。職人たちの努力に加え、新潟県の地の利が産業の発展を後押ししたと言えます。
新潟の金属加工の特徴
これまで新潟におけるものづくりの歴史について見てきましたが、現在はどうなっているのでしょうか?最後に現代の新潟の金属加工産業の特徴についてご紹介します。主に以下の3つの強みがあり、現在でも金属機械や部品・パーツの製造が盛んに行われています。
難削材の加工技術力
新潟県ではかつて和釘や刃物を中心都市とした鉄製品が主な産業品目でした。その後、洋食器にシフトし、アルミや銅など、さまざまな素材を使った製品が開発されてきました。現在ではステンレスやチタンといった難加工材の加工や精密板金加工などが盛んに行われています。素材や生産する品目は変わっても、かつての職人たちのものづくりへの情熱、技術への探究心、「燕三条で作れない金物はない」というプライドは変わらず受け継がれていると言えます。
国内有名企業との取引が多い信用力
自動車などの周辺機器を製造する日本精機、有機ELディスプレイや太陽電池の製造装置などの設計・開発・製造・販売を行っているキヤノントッキ、暖房器具や住宅機器の設計・開発・製造を行うコロナなど、新潟県内にはさまざまな有名企業が拠点を置いています。また、鎚起銅器の老舗として知られる玉川堂、アウトドア用品の人気ブランドであるスノーピークなども新潟県の企業です。こうした数々の優良企業が新潟を拠点とし、国内外の有名企業と取引をしているから、新潟県のものづくりの技術は高い評価と信用を得られているのです。
安価で発注がしやすい地域
新潟県は東京から新幹線で2時間ほど。新潟空港には札幌、東京(成田)、名古屋、大阪、福岡、沖縄と、日本各地から定期便が就航。新潟港からは北海道、東北、北陸行きのフェリーが出ていて、海外向けの貨物船も就航しています。関越道、上越道、磐越道、北陸道、日本海東北道と道路網も充実しているため、関東や東北、北陸、中部などへも高速道路を経由してスムーズに行くことが可能です。
東京をはじめ日本各地にアクセスしやすく、輸送コストや時間がかからず比較的安価に発注しやすいため、大手企業の外注先として稼働している金属加工業者や部品工場も多い傾向があります。
部品加工で課題はありますか? ~当社・長岡支店よりお客様へ~
冒頭でもご紹介したとおり、ネジや部品・パーツの総合商社である株式会社フカサワは長岡支店を構え、新潟県の高度なものづくりを支えることで、地元の事業者さまとともに新潟県のさらなる産業の発展を目指しております。
生産現場において課題がございましたら、ぜひ私たちにご相談ください。コストダウンや軽量化といった課題はもちろん、「自社の強みを生かした製品を開発したい」「課題を解決する手段がわからない」「こんなものを作ってほしい」といった漠然としたお悩みやご要望でも問題ございません。図面がなくても対応可能です。
商社であるフカサワの財産は「人」。製品の加工から品質、流通など、多岐にわたる知識と経験が豊富なスタッフがお客さまの課題に寄り添い、チームとしてアイディアを出し合いながら的確な解決方法をご提案し、商品を安定的に供給いたします。また、商品の供給だけでなく特注品の製作、加工や組立についても対応可能です。お客さまのお困りごとや経営上の課題が解消され、「フカサワに相談してよかった」と思っていただけるよう日々邁進しております。
ねじや部品・パーツの製造や加工などに関してお気軽にご相談いただければ幸いです。株式会社フカサワ長岡支店の詳細情報はこちらをご覧ください。
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